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リコリス・ピザ

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『リコリス・ピザ』(監督:ポール・トーマス・アンダーソン)

青春映画を撮る以上は、全てが「疾走」に収斂されていくのは当然のことで、クライマックスの疾走のカットバックはそのあざとさも微笑ましく思えるくらい魅力的だが、ポール・トーマス・アンダーソン『リコリス・ピザ』の素晴らしさは、何より人々の「歩行」にあると私は言ってみる。

ナンパを延々と追うファーストシーンに始まり、堂々とゴダール『ウィークエンド』をやってしまうガソリン待ちの車列をくぐり抜けながら歩行〜小走りする少年たちを捉えたカット、アラナ・ハイムが政治家の恋人を自宅まで送って行く場面、女性に声を掛けずにいられないブラッドリー・クーパーの足取りに至るまで、いくつもの素晴らしい「歩行」が今作には納められている。

その歩行が物語的に何か結実しているかは全くわからないが、思い出すのはそんな映像ばかりである。
そして、それこそが映画なのだと言い聞かせて、私は勝手に悦に浸っているのだ。

# by isoda8823 | 2022-07-25 14:23 | えいが道 | Comments(0)

デッド・ドント・ダイ

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『デッド・ドント・ダイ』(監督:ジム・ジャームッシュ)

いつものジャームッシュのノリでゾンビ映画を撮ったら、見事にジャームッシュ映画になった、ということだろう。最後に堂々と独白される文明批判も含めて、微笑ましく見れる一作。


映画を貫くリズムは、ノロノロと蛇行する、まさにゾンビの歩みそのものである。そして、そのリズムはとても心地良い。

アダム・ドライバーやビル・マーレイ扮する警察官が乗り込むパトカーも、ゾンビをよけつつ、時には首を切り落としながらノロノロと蛇行して進む。アクションの上では、ゾンビも生きる人間も同質のものであるということが、終幕の前に既に明らかにされているのである。

そんな中で唯一、蛇行することなく直線的で、角はキッチリと曲がってスタスタと歩むティルダ・スウィントンが地球人でないことは当然で、最後に円盤に乗って宇宙へ消えていったとて、驚くことではない。さもありなんと頷く以外にないだろう。

主張の青臭さも含めて、いつまで経っても巨匠にならないジャームッシュは、ただそれだけで信頼できる映画作家である。



あ、あと、セレーナ・ゴメスがすんげえ可愛かった。


# by isoda8823 | 2021-09-10 14:36 | えいが道 | Comments(0)

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『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』(監督:鈴木清順)

『野獣の青春』の前に作られた清順×ジョーのアクション活劇。

実のところ、あらすじは『野獣の青春』と大きく変わらない。ジョーが悪の組織に身分を偽って潜入し、組織を壊滅に追い込んでいく。ただしストイックな復讐譚である『野獣の青春』と比較すると全体的に明るく軽快。特に星ナオミと初井言栄という女性二人の存在が、作品に軽妙な味わいを与えていることは間違いないと思う。

今作のヒロインは笹森礼子だが、終盤になるまで殆ど喋らないし、正直あまり存在感もない。

その代わりに真のヒロインと言っていい大活躍を見せるのが星ナオミ演じる踊り子サリーであり、初井言栄演じる探偵事務所の助手・入江である。

ジョーとサリーのダンス&デュエット「63年のダンディー」は中盤の大きな見せ場であり、今作のアイコンともいえる名シーンだ。

星ナオミの出演場面は決して多くはないが、このシーンだけで映画のすべてを持っていく。

また、たった1人関西弁を喋る人物として登場する初井言栄もその喋りと存在で映画をけん引していく人物である。

初井の役は原作では男性だったが、清純監督のアイディアで関西弁の女性に変更したらしい。さすが!

荒唐無稽で楽しい娯楽アクション。

これがやがて、『殺しの烙印』へと至るのである。


# by isoda8823 | 2021-08-05 16:07 | えいが道 | Comments(0)

あの夏の記憶

あの夏も暑かったが、今日ほどの暑さではなかったと思う。
午前中は学校に行き、倉敷駅で友達と待ち合わせて電車に乗った。

どうやったって行列に並ぶことになるのだから前売り券購入はマストだ。鑑賞券をいちいち買っていては、もっと後方に並ばなければなくなるかもしれない。
にしてもだ、こんな行列になるかというくらい並んでいる。
3月の時は岡山一の大劇場だったので、ほぼ並ばずに座れたはずだ。
それが、春以上に重要な完結編の上映がなんで岡山メルパなのか。そんなことを当時思ったかどうかは覚えていないが、とにかく劇場まで続く果てしない行列に私たちは並んだ。
目当ての時間の上映には確実に座れないだろう。次の上映回まで2時間弱待つしかない。

あらかじめ席を予約することが普通になっているシネコン時代の昨今ではこういうことは滅多になくなってしまったが、あの頃はよく映画を見るために並んでいた。
なので、確かに並ぶのは嫌なのだが、それなりに慣れていたのであまり苦痛ではなかった。
これが今ぐらいの猛暑だったら持たなかっただろう。

前の回の上映が終わり、観客が次々と出てくる。その中に友人の姿もあった(ということは、彼らは学校を欠席したということだ)が、皆一様に俯き、口をつぐんだまま誰とも目を合わせようとしない。
一体何が起こったというのだ。

それからおよそ2時間後、私たちはその意味を知ることになる。

あの夏、
24年前、
1997年7月19日、
『THE END OF EVANGELION』公開。

# by isoda8823 | 2021-07-19 13:55 | えいが道 | Comments(0)

表題の通りの内容です。

放送から結構経ってしまいましたが、
凄くなかったですか?
私はドキドキしました。
画面から放たれる殺気といいますか、凄みを感じたんです。
その上で、しっかり笑かしてくる。
『ごっつええ感じ』の画面から感じていたものと同じ気配を感じて、ドキドキしました。

ほかのコントの演者がそうであるように、松本人志もコントを楽しんで作っているに違いないのですが、その楽しみ方がえぐいというか。
一度緻密に構成し練り上げたコントを、一発撮りの本番で壊していくという変わらぬスタイル。
共演者がほぼ初めてのメンツばかりだったからこそ生まれる緊張感が、『ごっつ』メンバーとは違ったまた新しい笑いのグルーヴを生んでいて楽しかったです。
その一方で、演出は『ごっつ』で一緒だった小松純也が担当。
やはり、そこは呼吸の合うメンツに任せたかったんでしょうね。

一番笑ったのは、管理人コントでの終盤の急展開。これは舞台ではできない、まさにテレビコントならではの面白さでした。
こういうのは継続してこそ、より発展していくものなので、ぜひ第二回、三回と続いてほしいです。


# by isoda8823 | 2021-07-08 15:44 | 徒然草 | Comments(0)