2005年 11月 11日
日本の夜
約50分後、川底に沈んでいるのを発見され、病院に運ばれたが、間もなく死亡。
川に飛び込んだ際の景色を撮ろうと、16ミリフィルムの撮影機を持って飛び込んだという。
映画の撮影はとかく危険なことがつきまとう。
アニメーションでない限り、自分が危険を犯して撮らねばならない。
私はどうかというと、そういう危険な撮影は避けるようにしている。
映画は自分以外の多くのスタッフ・出演者を巻き込んで作るものであり、
危険な撮影に臨むということは、それらのスタッフを危険に晒すということである。
プロの世界ならば、保険なりスタントマンなり、専門職の人たちが付いているし、なおかつ皆、仕事として、どのような事故が起こっても、それを自らの責任として請け負うという覚悟のもとで撮影に参加している。そのようなプロの現場においても、本当に危険な撮影は避ける(そのための特撮である)。
私たちは素人に過ぎない。
参加してくれているスタッフも当然のこと。彼らは無償で手伝ってくれている。
もし事故が起きたとして、スタッフが負傷、または死亡した時に、その全ての責任を私は負いきれない。また、自分の現場に対して、全ての責任を負おうという気持ちがあるからこそ、私は危険な撮影はしないし、それにスタッフは巻き込まない。
彼女は、自分でカメラを持ち自分ひとりで飛び込んだわけだが、
一緒に制作していた友人は、止めなかった自分を責めるだろうし、作品の制作をやめてしまうかもしれない。
監督は、作品の完成を見届ける義務がある。それだけが監督の仕事だ。
自分が撮影中に死んでしまえば、その義務さえ果たせないのだ。
友人はなんとしても作品の撮影を続行し、完成させるべきだ。
ただし、それは「友人の死を乗り越えて完成させた」なんていう美談ではないぞ。
どんなにみっともなくとも、映画は完成されねばならないのだ。
私はいま、とても悲しいし、同時にとても腹立たしい。
by isoda8823
| 2005-11-11 14:16
| 若さ
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